私の日記

私の日記(wata94’s diary)

消極的おとぼけ

 今日は。ご訪問感謝します。
 今日は春の陽気です。
 夜まで続くでしょう。
 朝は寝過ごしました。
 
 ---武者修行のつづき
 わたしは目をつぶり静かに心の目を開きました。
 頭に浮かぶのは小島の磯の椰子のみです。
 かま「ジャイアント馬場の技をしっていますか」
 きふじん「なんのことじゃ」
 かま「やしのみわりです。せいかくにはやしのみのなかの液わりです。わたしがわたされたのはなにかの鑑かとおもわれますが基礎知識のない身なれば手も足もでないのでござりまする。なにの写しでござりますか」
 わたしは渡された紙に書かれた内容がしりたくてしょうがありませんでした。
 きふ「ずいぶんわかりにくいなきおとしじゃな」
 かま「要するに大切なものは固い殻のなかにまもられているということです。ばばさんのような人にしかわるいことができなのですよ」
 きふ「残念なことにこんかいはわたくしのかこいからすっかりうばわれてしまったのじゃ。しかもいちどになんにんもな」
 かま「?」
 きふ「みてみよ」
 かたわらにめをやるとそわそわといったりきたりしているものがありました。
 かま「かわやへいこうとするのをがまんですか?」
 きふ「そうでわない。自暴自棄になっておるのじゃ」
 かま「ジボー時期?」
 きふ「そうじゃ。あのものは自分の世界に生きておる。逆に言えば社会的わたくしを見失っておる。ひらたくいえば勘違いじゃがな」
 かま「わたくしにはなんのことか」
 きふ「多少過小評価かもしれんな」
 かま「わたしには鑑に写された真実をみつけられずにいます」
 きふ「想像以上にのめりこんでおるよ。価値観の相違はいかんともしがたい」
 かま「まさかとおもっているだけです」
 きふ「それがいかん。その消極的おとぼけがときには相手を混乱させるのじゃ。今の時代はやさしさが決め手になるようじゃ」
 かま「はやさしさ」
 きふ「やはり作為的なものであったか」
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 余談
 人間関係の希薄な現代では受け入れて欲しいという欲求を
 満たす相手に対する評価がなににも優先されるという意外な
 事実に気づかないほど人々はつかれることしか
 頭にないのでしょうか。