私の日記

私の日記(wata94’s diary)

オブザーバーの必要性と限界

 今晩は。ご訪問感謝します。
 過ごしやすい夜となりました。
 
 コーチもこんな日にはやりやすいですね。
 
 それはともかく
 
 今日は練習を終えて振り返ってみようとしたのですが
 わたしたちの記憶があいまいであてになりませんでした。
 もちろん練習中は子どもを絶えず観察していたわけですが
 活動を進めながらなので余裕がありませんでした。
 
 活動というのは常に流れているもので場面場面で
 立ち止まって振り返るひまなどありません。
 終わった後記憶に残っているのは主観的なものです。
 それゆえにオブザーバーがいると便利なのでしょう。
 
 ほんじつはしかし気づいたことがあります。
 オブザーバー自体が主観的になってしまうこともあるのです。
 いやむしろ当人たちよりも一層深く入り込んでしまうことも。
 そうなったら大変です。
 
 オブザーバーは錯覚を起こして
 子どもが帰ったあとになっても
 コーチのそばを離れなかったり
 蒼いひとみで熱視線を送ったりするかもしれません。
 
 えりすぐりのオブザーバーもまた人の子です。
 客観的に記録しようとしても
 小さな子が大きく見えたりしても
 いたしかたのないことなのかもしれないのです。
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 余談
 冷徹なビデオカメラの目は
 その場で私たちが感じたことが大切であることを
 理解しようとはできないのです。