私の日記

私の日記(wata94’s diary)

すてきなれんしゅうはどこからみてもすてきです

 こんばんは。ごほうもんありがとうございます。
 さむいよるですね。
 こんやはいろいろかんがえました。
 
 いきていくためにはどんなのうりょくがあったらよいのか
 どんなことをしっていればよいのかとか
 そういうことをかんがえました。
 わたしはよのなかはふこうへいだなあとかんがえてきました。
 こんやはこうかんがえたのです。
 なにをどれだけもっていればよいのかをしらないのに
 ふこうへいもないもんだと。
 
 そしてこんやはすてきなことがありました。
 よのなかにはとてもすばらしいものをもっているこがいますよ。
 それがわたしにすこしはわかるようになりました。
 いままでならちかよるのをためらったはずなのに
 へいきでそういうこにちかづけました。
 なぜならそれをほんにんにきづいてほしかったからです。
 そのこのすばらしいところがみえたりかくれたりしていましたので
 みえたところでそのこのちゅういをこちらにひきつけました。
 するとそのこはかがやいたままのすがたでわたしにほほえみました。
 このこはだいじょうぶ
 とそのしゅんかんかくしんできたのです。
 わたしはいままでのふがいないじぶんにさよならをつげたおもいでした。
 わたしもこれでだいじょうぶ
 なにもまようことはありません。
 そのこがこころをひらいているように
 わたしもすなおにこころをひらくことができました。
 れんしゅうというのはやはりおしえるがわとおそわるがわの
 きょうりょくがあってこそすばらしいものになります。
 わたしがリードしなくても
 そのこはまるでわたしをふるいたたせるように
 ようしょようしょでよろこびのこえをあげてくれました。
 ふとみるとそのこはおさなさのなごりをもったままでした。
 わたしはへいきでそのこのだいじにしているものをとりあげ
 「こんなものにはさっさとさよならをいいなさい」
 とわざといじわるくふるまいました。
 そのこはまるでそういわれるのをまちのぞんでいたかのように
 はずかしそうにわずかなていこうをみせました。
 これはゆめなのではないだろうか。
 われながらよそうもしないてんかいにとまどいながらも
 これでいいなんてすてきなことなんだろう
 とじぶんにいいきかせながら
 じかんのすぎるのをわすれているわたしでした。
 そのこは「まだかなあ」とくびをかしげながらも
 なんどもじぶんからすすんでれんしゅうをさいかいしました。
 これにはさすがにひろうをかくせませんでしたが
 そのこのわかさにたすけられながらさいごまでやりとげることができました。
 しかしとつぜんおもわぬしゅうりょうのけはいをかんじて
 ふたりともきゅうにわれにかえって
 おたがいにどぎまぎしましたが
 「どうだった。まんぞくした」
 とてれかくしにといかけるとそのこはこんやさいこうのえみをうかべて
 「はい。とってもまんぞくしました」
 とげんきなこえをきかせてくれました。