私の日記

私の日記(wata94’s diary)

ひとりごとです気に留めないで

年をとるにつれて自己表現の方法はそれなりに
増え続けると思うが
子どもは少ない手数で大人と(ある意味)勝負しなければならない。

ボキャブラリーの豊富な親は当たり前のように
的確に多くの単語を使い分けるのだろうが
子どもは(普通は)そうはいかない。

では多くの単語を知っているから自己表現が上手かとか
使い方を知っているから自己表現できるかとか
ふわふわした疑問がうまれてくるのである。

相手(親)が得意とする表現を知らなかったら
子どもは大変だ。こちらに目も耳も向かせなければならない。
自分が知っている限りの有効手段を考えて
過去の経験から最も親が動揺する方法を取ろうとするのではないか。

子どもによってはそれが常識から外れたものであることもあるだろう。
むしろ常軌を逸した言動でなければ親は動揺しないだろう。
それを必死の送信と取るか理解不能と判断してしまうかは
人それぞれだ。

今わたしが思っているのは
相手の動揺するキーワードやアクションを的確にとらえられて
行動に移すにはそれ相応の能力がなければならないのではないか
ということだ。