私の日記

私の日記(wata94’s diary)

2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

その知らぬ顔が かえって 相手のかんじょうを たかぶらせてしまう こともあるので 要注意だ

入門先を決めたら ほかのところに 入るような そぶりは 見せないほうがよい しかし その知らぬ顔が かえって 相手のかんじょうを たかぶらせてしまう こともあるので 要注意だ

なんというか わたしの妄想も うその世界 とばかりはいえないように 思うのだ ちゃっかり 便乗して 活用しようとしている人も いるかもしれない

---この書庫を作った動機は 言語の訓練を交流を通して 実践するという 発想に対して 自分のとっている行動を記録しておこうと 思ったからだ なんというか わたしの妄想も うその世界 とばかりはいえないように 思うのだ ちゃっかり 便乗して 活用しようとし…

模擬入門 という 手もあるが 無用な心配はやめて うまくいかない状況も 経験のうちと心得たい

入門先が不慣れで まごまご している場合 こちらはこちらで 多少は経験があっても 精神的に消極的だった場合 模擬入門 という 手もある が 無用な心配はやめて うまくいかない状況も 経験のうちと心得たい さらに 模擬入門も 入門先で行うというのは 合理的…

今日は少人数ではなく 大勢の中の自分を考えるにいたった なんかすごくなぁい なんでか 最近

今日は少人数ではなく 大勢の中の自分を考えるにいたった なんかすごくなぁい なんでか 最近 どうしても解決したいことができた いままで どちらかというと 実現しなくても その方向に向いてれば それだけでも いろいろ いいことがあるぞと 思っていたのだが

思えばなにのためとか 意識していた わけではないが 結局 なにか するために 稽古をしていた わけだ

---即創作 今日はのんびりもしていられないぞと思った日となった 思えばなにのためとか 意識していた わけではないが 結局 なにか するために 稽古をしていた わけだ なにをかいわん

気持ちはたかまってもかたまっても 自分ではどうしてよいか わからないのだろう

おもわずにがわらいするようなひびだ 入門する気まんまんなのに 入門させる気まんまんらしいのに もしかすると 入門先ははじめて入門させることに なるのかもしれない 気持ちはたかまってもかたまっても 自分ではどうしてよいか わからないのだろう まわりは…

はやる稽古場は 入門者をやる気にさせる しかけでいっぱいだ

---即創作 はやる稽古場は 入門者をやる気にさせる しかけでいっぱいだ さりとて 監視の人数は限られている みこみのある入門者は 特別に目をつけているとしても

いや 今の時代 からだから わかることは あるにちがいない

からだをみて判断することもあるだろう いや この世の中 むしろ からだから判断することは 多いかも知れない いや 今の時代 からだから わかることは あるにちがいない

わたしがいま 子供の言い分を 熱心に聞いて 実践していることから 推測して わたしの親もまた そうであったと思いたい

今日は記念に残るほどの大きな一歩を 踏み出した日になった かつて わたしは親に言ったことがあったっけ 勉強させてもらった分は 親に返して生きたいと わたしがいま 子供の言い分を 熱心に聞いて 実践していることから 推測して わたしの親もまた そうであ…

あまりないと 入門された気になってしまう場合も あるかもしれないので そんな 損なことは 歓迎できない

きっかけというのは あるときにはあるが ないときとはない あまりないと 入門された気になってしまう場合も あるかもしれないので そんな 損なことは 歓迎できない

紙が散乱しているが これを知識の端くれだと思えば

毎日3枚の紙に練習をすれば 一ヶ月もすると 100枚近くも 使ってしまう 一年すれば 1000枚以上の紙となる そういえば 紙が散乱しているが これを知識の端くれだと思えば

わたしが納得していても まわりの人間が納得しないと どうしようもないこともある

いろんなふうに まよいもある毎日だが わたしが納得していても まわりの人間が納得しないと どうしようもないこともある だがこれだけは曲げないことにしよう 入門しないことには 話が始まらないのだ

人の目の付け所が なんとなく この身に感じられるように なったからだ

最近はこころが暖かい なぜかというと 人の目の付け所が なんとなく この身に感じられるように なったからだ

人生がみじかい夢としたら 思い残していることなんて ついさっきのことではないか こころのこりなら さっさと てをつければいい

今夜はそろそろ寝るとして 考えることが いろいろふえて いいことだ 人生がみじかい夢としたら 思い残していることなんて ついさっきのことではないか こころのこりなら さっさと てをつければいい

夫婦は 家族となってしまうのである きずながつよい分 恋愛のような 不安定なスリルは なくなってしまう

日本では 結婚して子供ができたら たちまち かあさんとうさんと よびあうということで 夫婦は 家族となってしまうのである きずながつよい分 恋愛のような 不安定なスリルは なくなってしまう

意識の異なる相手との 垣根は 実は 重要なのだと思う

鍵というのは 一度あいてしまえば いくらでも いききが できるようになってしまうから 気をつけないと いけない 意識の異なる相手との 垣根は 実は 重要なのだと思う

わたしの気の持ち方の変化が 子供には 子供の言葉でしか 解釈できないのだ

---メモ わたしの耳の聞こえ方が かわったように 子供の ものの考え方が かわってきているようだ わたしの気の持ち方の変化が 子供には 子供の言葉でしか 解釈できないのだ

こころがゆれる いいことではないか もっともっと

なんか 今朝は さとったような 気分だ こころがゆれる いいことではないか もっともっと そのときがくれば 遠慮なんかしないで まっすぐに 気持ちいいほど 思い切りよく 入門してやるのだから

いろんなことが あったんだろうなー と思いはひろがる

夫婦連れで外出しているのを よくみかける ドラマを感じる いろんなことが あったんだろうなー と思いはひろがる

その文字をみて なにを 連想するか それでその 人を判断できる かもしれないようだ

---メモ まだ専門的なことは わからないけども その文字をみて なにを 連想するか それでその 人を判断できる かもしれないようだ

ここぞと決めているみにとっては それがいたいほど つたわってくるのである

入門させるかどうかは 人間の決めることである 人間だから 日によって 見た目も異なる 心が乱れていると どうしてよいか わからなくて 相手に笑顔をみせる ゆとりすらないこともある しかし ここぞと決めているみにとっては それがいたいほど つたわってくる…

かれはてたかと おもわれた 泉は ときとともに よみがえるものなのかも しれません

今日は記念になる日かも ねたがつき かれはてたかと おもわれた 泉は ときとともに よみがえるものなのかも しれません いきていれば いろんなことは あるものです

ときには みずしらずの人と ついつい おてあわせ してしまうことも ままある

---即創作 稽古場では ときには みずしらずの人と ついつい おてあわせ してしまうことも ままある そですりあうも たしょうのえん というものである

情報の伝達とは 違った なにかを つたえられたら いいね

今日はスタートライン 母国語以外の言語で 意思の伝達を 明白に意識した はじめての日になったかも 情報の伝達とは 違った なにかを つたえられたら いいね

そちらばかり きたえていたからか あちらたてれば こちらがたたず まるで 実社会の交流のようだ

---記録 朝 みぎふくらはぎに違和感 左を強くしようとして そちらばかり きたえていたからか あちらたてれば こちらがたたず まるで 実社会の交流のようだ

どんなかたちであれ 子を育てる というのは 重要なことなのでしょうか

子は親のしていることは なにでも してみたいと したら 親はつつしまなくては ならないかも しれません そういった いみ でも どんなかたちであれ 子を育てる というのは 重要なことなのでしょうか

今日も 器用にも ちょっとした タイミングを 逃さない勘のよさには おもわずにやりだった

わたしが わたしが決めた 入門先を 決めた理由は ここと みこんだ からであるが 今日も 器用にも ちょっとした タイミングを 逃さない勘のよさには おもわずにやりだった

親はおれない決意をしたのです すると 子はおれないなら それなりの 方針に でたようです

今日は一歩前進 親はおれない決意をしたのです すると 子はおれないなら それなりの 方針に でたようです なんにしても 新しい展開を 見た わけです

一目だけでも 見られたら 安心するん だけどなー という感覚

わたしにおもいでが あるものだから ありありと わかる きがするのである 受付の人などは 毎日のように 目にする人は 一目だけでも 見られたら 安心するん だけどなー という感覚